「じぶんの命は、じぶんで守る」子どもの危機管理
【これは、本当にあった怖い話です】
長男が小学校に入り、初めての夏休み。
私が「事故」に遭ったのも、同じ小学1年生の夏休みだった…
夏休み終盤のその日、私は、小学校のプール解放に参加するため、水着を着て家を出た。
しかし、小学校に着かないうちに雲行きが怪しくなり、プールは中止に。
帰宅すると、母は外出しており、家には誰もいなかった。
薄暗く、しんとした室内で、無駄になった水着を脱ぐ。
外は雨が降り始めた。
ふと、ベランダの洗濯物が干しっぱなしであることに気付いた。
洗濯物が濡れてしまう。7歳の当時、自分が全裸であることよりも、洗濯物の方が心配になり、私は服を着るのも忘れて、ベランダの洗濯物を取り込み始めた。
運が悪かったとしか思えない。
ちょうどその時、突風に煽られて窓ガラスが木枠ごと外れ、私の頭上に落下したのである。(当時住んでいたアパートは古く、窓は建て付けの悪い木枠だった。)
もし今なら、自己の身を守るべく、全力で退避行動を取るだろう。
しかし当時の私は、「ガラスを割ってはいけない」と、とっさに両手を広げて木枠を受け止めようとした。
児童の両手にはあり余るサイズだったのにー
その瞬間のことは覚えていない。痛みはなかった。
気づくと、木枠は床に落下し、あたり一面に割れたガラスが散乱して、私はその中心に全裸で立ち尽くしていた。
どうやら、ガラスを頭から被ってしまったらしい。
ガラスのシャワーだッ!(しかも全裸で。)
痛みはない。
おそるおそる、全身を確認する。
大丈夫。手も足も怪我していない。
よかったーほっとして背面を振り返った瞬間、
そこにあるはずの、腰からお尻にかけての「なだらかな繋がり」が、ぽっかりと欠けていた。
あるのは、真っ赤に開いた傷口と、そこから大量に流れる血。
とっさに、幼稚園の頃に聞いた園長先生の言葉が思い浮かんだ。
「ひとは、血がたくさん出ると、死にます。」
「ひとは、血がたくさん出ると、死にます。」
あぁ、私は死ぬー
世の中には救急車というものがあるけれど、どうやったら呼べるのかわからない。
父も母も、家にはいない。
私はこのまま、ここで血をたくさん流して死ぬ。
そんな思いが一瞬で頭をかけ巡り、次の瞬間、
全裸で家を飛び出した。
傷の痛みも、全裸の羞恥心もなかった。
ただ大声で泣き叫びながら、アパートの階段を駆け下りた。
声に驚いた近所の方が私を見つけて、救急車を呼び、止血してくれたこと、
駆け付けた救急隊員と近所の方との会話(「この子はなぜ裸なんですか?!」「いや、私たちもよくわからなくて…」)、
救急車で事情を聞かれた際、嘘をついたこと(「何でガラスを避けずに受け止めようとしたんだ?!」と非難される気がして、「私は避けたけど、ガラスが飛んで来て勝手に刺さった」と事実を捏造した。)、
すべて昨日のことのように、今でもありありと思い出すことができる。
救急外来に搬送されて20針縫合し、事故を知った母が駆け付けたところで、私の記憶は途絶えた。
夏休み終盤、まだ終わっていなかった「夏休みのとも」(宿題)には、「大けがをしたので できませんでした。」と書いて提出した。
30年ほど経つ今でも、傷跡は残っている。
同じ年齢となった我が子のあどけない様子を見ていると、あの時の私は、心身が極限まで追い詰められた「火事場の馬鹿力」状態だったのかなと、ふと思う。
しかし万が一、子どもが親の目の届かない場所で危険に遭遇した時に備えて、いつも繰り返し言い聞かせている。
「危なくなったら、お外に出て、大声で、『助けて!』って言うんだよ。大丈夫、きっと誰かが助けてくれるから」と。