【ボトルネックはどこか?】仕事と家事育児の両立について
今月、体調を崩して自分が入院しました。思うところもあったので書き留めます。
(体調を崩したときは精神的にも弱り、子が折った謎の折り紙ひとつ見ても泣けてきた)
1 仕事・家事・育児で「効率」を求めたときの「体力」「体調」の位置付け
あたかもこの「ただし、摩擦はないものとする。」と同様に、「ただし、タスク遂行に際し、体力の消耗はないものとする。」とみなしていた。
そして厄介なことに、効率的にタスクを詰め込みこなせばこなすほど、「24時間を効率的に過ごしている自分」に酔ってアドレナリンが放出され、さらなる効率化を求めるようになった。
そうして、気付かず少しずつ蓄積した疲労がついに一定量を超え、コップから水があふれるように、一気に体調を崩して入院した。
こんな風に仰々しく書くとアレだが、要は自分の体調管理ができていなかった。このひと言に尽きる。
2 ボトルネックはどこか?
1日は24時間しかない。この中で、自分の裁量で所要時間を減らせるタスクは限られている。今までは真っ先に「休憩時間」を削ることで効率化していたし、周りの仕事と育児両立世代も同様だと思ってきた。
しかし今回の入院を経て、「ほかの人がどうであろうと、自分は人並みの体力もなく、体調管理を人一倍意識する必要がある」と実感した。
先ほどの問題に例えるなら、
水平面上のX方向にだけ運動する質量mの物体αが、原点からの距離に比例する力-kxを受けて運動する場合について、以下の問いに答えよ。ただし、Ycm進むごとにαのライフは10減少するものとし、ライフ0になった時点で1基死亡するものとする。
という考え方へのシフトである。常にライフ(体力)の残量を意識しながら、残りのライフでできることを考える・又はライフ回復のために休憩を挟むという過ごし方への変更が必要となった。
自分にとって、効率化を考えるときのボトルネックは人並みレベル以下の体力だった、ということに唐突に気付いたのである。
3 ライフ残量(体力)を意識する生活へ
以下に記載することは、今後の目標も一部含まれている。
(1)休憩をタスク化する
自分の性格上、何かに没頭すると周囲が見えなくなる傾向にある。
以前は時間も寝食も忘れ、何なら息することさえ忘れがちであったが、育児をする上でこれは自分のみならず子の生命にも関わると危惧し、時間・寝食は意識するようになった。しかし、「適切に休憩を挟む」ことは未だに後回しにして忘れがちなので、「タスクAの後に○分休憩」など、休憩自体をタスク化して時間を設ける。
(2)休憩のタイミングを変える
今までは「タスクBが終わってからキリのいい所で休憩」と休憩するタイミングも効率化していたが、「たとえ途中であっても疲れたら(又は1時間経ったら)休憩」といった休憩の取り方を意識する。
(特に休日など、「やっと掃除が終わったから休憩...」というタイミングに子どもが「ウンチ出た...」と発言するなど、自分が意図したタイミングで休めないことが多々ある。)
(3)昼休みを設ける
会社に相談し、昼休みを「食事摂取の最小限の時間」から、「休憩も含めた通常の時間」まで拡大してもらった。
こうすると、帰宅時間が後ろ倒しになり保育園の通常保育終了に間に合わなくなるため、昨年に引き続き、時短勤務することにした。
この数年は「お金」「会社からの期待や出世」などは諦めて、とにかく自分の少ない体力で、日々を無理なくまわしていくことを優先することにした。
4 おわりに
ここまで長々と(グラフまで用いて)体調管理について書いてきたが、一般的には「当たり前」のことだろう。
場合によっては、「育児しながらフルタイム勤務するなら、そのぐらい(自分の体力や時間を犠牲にすることは)当たり前」という意見もあるかもしれない。
自分も「ほかの人もこれだけこなしているのに、甘えではないか?」という疑問も抱いたが、最終的に体調を崩したら元も子もないということを身をもって実感した。
(自分が入院していた間、仕事に穴を開け、家事育児は夫に一手に任せ、近所の友人宅で子の夕飯を出してもらうなど、周囲に多大な迷惑をかけた。)
持てる資源の総量は限られている。自分の力では変えられないもの(時間やお金)も多い中で、自分の裁量でどうにかなるもの(体力)をないがしろにし、
交換は等価だ 違う「何か」とそのうち「交換」すればいいだけじゃあ...
みたいなことを繰り返していると、いつかきっと取り返しのつかない状況に陥る。(すでに陥りかけた。)自分への戒めを含め、今後は自制に努めます。