甘い麦

共働きで年子の兄弟を育てる記録。主に仕事と家事育児の両立について。

乳幼児がいる家庭での防災について

乳幼児がいる・いないに関わらず、常に意識しておくべきだけれどなかなかそれを維持するのは難しい、それが防災対策。

わたしは岩手県で長男を里帰り出産し、その数日後に東日本大震災に遭った。

f:id:acoatacy:20150626230649j:image

退院後、まめに記入していた育児日記。3月11日14時の沐浴以降は記載が途絶える。

 

自分がいた地域は内陸で、家屋が損壊することもなかった。

それでも、ただでさえ初めての出産&こわごわ手探りの育児が始まった中で震災に遭ったことは、自分にとって少なからず衝撃であった。

あのとき、昼夜問わない授乳の合間の細切れな睡眠時間を割いて、やっと繫がったインターネットで貪るように読みあさった防災対策について、今でも身に付いて残っているものを紹介します。

今回は当時の状況について。

津波に遭ったわけでもなく、家族を失ったわけでもなく、原発事故の被害を直接被ったわけでもないーそんな立場で「被災者」を名乗ることは恐れ多くてとてもできないが、それでも震災でいつもの日常が(一時的にではあるにせよ)断絶したことには違いなかった。

 

0 はじめに

わたしが3月11日以降体験したことは、主に

激しい揺れ/停電(2日間程度)/物資不足(1か月以上)/ガソリン・灯油不足(1か月以上)/水不足 であった。

たとえ大人ひとりでこの状況でも大変だったであろうが、産後数日、新生児とともにこの事態に遭遇し、特に大変だった点を挙げたいと思う。

 

1 激しい揺れ

フニャフニャしてただでさえ「ねぇ息、してるよね...?」とおっかなびっくり育児していた新生児と一緒に、未だかつて経験したことのない揺れに遭遇し、当時はすっかり混乱に陥った。

「揺れている最中あわてて屋外に飛び出すと、落下した屋根瓦や崩れたブロック塀で怪我をするかもしれず危険」ということは一般常識として知っていたはずだが、人間の本能として「こんなにグワングワン揺れている箱(=家)の中に入っていたくない、外へ出たい」という心理がはたらき、授乳中のまま赤子とともに外へ飛び出した。(そして胸元露わな状態で、たまたま訪問して来た郵便配達人から書留を受け取った...)

 

いま思うと大変シュールである危険である。しかし、「行動方針を決めないまま予想外の事態に遭遇すると、人は合理的な思考を放棄して本能に走る」ということがよくわかった。

そこで、あの日以来、「もし今この場所で大きな揺れが来たら、どこが一番安全か」を意識して過ごすようになった。

以前の家は狭あいだったので、「揺れたらトイレ」を合言葉にして過ごしていた。(トイレや風呂場には倒れてくる家具もなく、居室より堅牢に作られていることが多い)

今の家には「ここなら安全」という場所を確保すべく、家具を置かない部屋をひとつ設けている。

 

2 停電

電気が来ない。ただこれだけのことだけで、日常生活に大きな支障が生じた。

(1)暖房がつかない

東北地方の3月はまだまだ寒く、これは本当に痛手である。家中・倉庫から石油ストーブを引っ張り出して来て暖をとった。

石油ストーブは天板で簡単な煮炊きもできるので、もしガスが止まった場合でも温かな食事を摂りミルク用のお湯を準備することもできる。北国なら必須、そうじゃない地域でもガスが止まることを考えると、最強の防災グッズである。(ただし、強い余震のたびに消火に走ることとなった。火の扱いには注意が必要である)

 

(2)情報が入らない

テレビも付かず、パソコンもバッテリー駆動できるがモデム電源がないためインターネットに繫がらず、携帯電話も電池残量を考えると無駄なインターネット接続は控えたい。

そのような状況で、活躍した情報源はラジオだった。

中学校の授業で初めてハンダゴテを握って作った防災ラジオが、15年ほどの時を経て、このとき大活躍したのである。

震災当日、状況もよくわからないまま停電と余震に怯えて過ごした夜、ラジオのアナウンサーの「皆さん、あと○時間で夜明けです、頑張りましょう。」という声にどんなに励まされたことか。

情報を得るだけではなく、混乱の中にあって心を落ちつかせるためにも有効だと思うので、ラジオは常備しておきたいところである。

(3)暗い

街灯も消え、夜は本当の暗闇になった。そんな中で求めた明かりは2種類である。

・必要なときに手元を明るく照らすもの(できればハンドフリーで)

例えば調理時や子の授乳、トイレなどで必要になる。片手で懐中電灯を持ちながら作業するのは思いのほか大変で、頭に付けるタイプが最強ではないかと思った。 

これを頭に装着して授乳する姿は相当笑えるが、非常事態にそんなことは言ってられない。当時は持っておらず、授乳やオムツ交換は家族に手元を懐中電灯で照らしてもらいながら実施した。 

・常時、薄明かりを灯すもの

夜中の完全な暗闇の中で相次ぐ余震に遭遇するのは、本当に怖かった。

恐怖で火をたかずにはおれなかったんだ...という心境が痛いほどわかる。 

当時は、家の中で埃を被っていたアロマキャンドルを探し出してきて使った。

 

暗闇、頻繁に鳴る緊急地震警報、相次ぐ余震、ただようローズの香り...

これも今考えると相当おかしな光景であるが、実際、アロマキャンドル安定感がある形状のものが多く、その分広範囲を照らすことには不向きだが、「うすぼんやりでもいいから、とにかく常に明かりがほしい」という状況において活躍した。

しかし、火を扱うことには変わりなく、余震のたびに火元確認し続けた。

今ではアロマキャンドル的役割の懐中電灯として、これを常備している。

www.muji.com

懐中電灯としてももちろん使えるが、優れているのが「薄明かりを長時間点ける」用途にも使えるところ。

LEDなので電池の減りも少なく、一晩中つけておく使い方ができる。単3電池1本で済むところもすばらしい。(後述するように、単1・2電池は入手しづらいため)

 

3 物資の不足

「今の時代、近くにコンビニがあるから、防災グッズは何かが起きてから急いで調達に行けばよい」と考えていた頃が私にもあった。

しかしそれは間違いだった。震災発生直後、父が近所のコンビニに電池を買いに行ったところ、「開店はしているがレジ(POS)が動かないので商品を売れない」と断られた。そして何軒か訪ねるうちに、どこの店も閉店してしまった。(物を売れない状況で、混乱が起こるのを防ぐためであろう。)

スーパーマーケットなども、レジが使えず店内の照明も消えてしまい、「物を売る」どころではなくなり閉店となった。数日後、店舗駐車場を利用し、手計算(電卓)で会計して商品を売ってくれる店も出ては来たが、陳列される商品も限られ会計に時間もかかり、大勢の消費者で長蛇の列となり、入手できる物は少なかった。

特に皆が欲しがる防災グッズはほとんど出回らず、単1・単2サイズの電池は結局1か月経っても入手できなかったように思う。

以来、懐中電灯などの電池を必要とする防災グッズは、流通量の多い単3電池を使用するタイプを選ぶようになった。

また、単3から単2・単1にサイズ変更できるスペーサーも購入した。

さて、この物資不足。食糧や物資は、大人であれば「あるもので我慢」できる状態であっても、乳児向けのミルクや紙オムツは代替がなく、死活問題となる。「やっぱり母乳育児って大切だな」「布オムツにしようかな」と一番真剣に考えたのは、後にも先にもこのときであった。

紙オムツが底をつくことは幸いなかったが、もしオムツを切らしてしまった場合、レジ袋とタオルで代用できるという記事を見つけた。

また、避難所生活となった場合、粉ミルクそのものに加えて哺乳瓶の調達・消毒にも困るところだが、哺乳瓶の代わりに紙コップやスプーンを用いた授乳法もあるので、もしものときに備えて知っておくと役立つかもしれない。

その後我が家では、乳児関係の消耗品については「買い溜めしない」という消費スタイルを改め、備蓄を意識するようになった。

 

4 ガソリン・灯油不足

これは震災後1か月以上に渡って直面することとなった問題である。

ガソリンが被災地に届かず、ガソリンスタンドが相次いで閉店し、たまに開店しても長蛇の列ができ、夜通し並ぶことを覚悟するような状況であった。(ガソリン節約のため車内暖房を付けずに毛布で暖を取る/同乗者がいれば交替でトイレに行けるが一人の場合は介護用のオムツを着用して並んだ人もいる と聞いた。)

道路の端のレーンには、走行車の邪魔にならないよう半分路肩に乗り上げ、(ガソリン節約のため)エンジンを切った車の列ができる という異様な光景を当時よく見かけた。

灯油も品薄となり入手できなくなった。上記で石油ストーブばんざい!最強!と思ったのもつかの間、毎日灯油タンクの残量をチェックして、極力暖房を使わず、風呂も隔日で入る生活となった。

防寒のため長男にも、室内でも常にダウンのおくるみを着せて、帽子をかぶせていた。

 

5 水不足

我が家は幸い断水には至らず、水道を捻ればいつでも水を手に入れることができた。

しかし、この水道水自体が信用できなくなる事態が起きた。

news.yahoo.co.jp

東京都の水道水から乳児飲用の基準を上回る放射性ヨウ素が検出されたというニュースが流れた。ミルクにはもちろん使えないほか、当時のニュースで「母親が摂取すると母乳にも検出される」と流れ、母乳でもミルクでも詰む状況に恐れを抱く。自分の自治体の数値を毎日チェックするようになる。

f:id:acoatacy:20150626112252j:image

育児日記のはずが、毎日の放射線線量をネットで調べて記入することに... もはや観測日誌か何かと化す。

 

特に東京の水道水のニュースが流れてから、市販のミネラルウォーターが入手できなくなり、当時岐阜にいた夫に頼んだが岐阜でもミネラルウォーターが品切れして入手できず、最終的に岐阜の自宅の水道水をペットボトル詰めして送ってもらった。

なお、自分でペットボトル詰めする際は、上部に空気が残ると腐敗しやすいため、できるだけ満タンにした方がよい

 

このような異様な事態が起きることはもうないであろう(あってほしくない)が、断水を想定して、防災用の長期保存可能なミネラルウォーターとポリタンクを購入した。

 

防災用のタンクがない場合は、バケツや段ボールに新品のゴミ袋をセットすれば、タンクの代わりにすることができる。

また、給水所からの運搬が大変な場合は、ゴミ袋を重ねてリュックサックなどにセットすれば、簡易の給水バッグを作ることもできる。

これらの記事を見つけて、普段のゴミ出し用途とは別に、厚手の45lゴミ袋を常備することとした。

 

6 おわりに

東日本大震災前であっても、たとえば阪神淡路大震災などをニュースで聞いて、「備えあれば憂いなし」と実感する機会は過去にいくらでもあった。しかし大人になるにつれて、「自分ひとりくらい何とでもなる」と思い、防災意識も薄れて行った。

そして3月11日、自分の立場は既に「妊婦・乳幼児・お年寄り」といった災害弱者に分類されていることを唐突に実感することとなったのである。

妊娠したら、自分は「災害弱者」になったのだと意識して、防災についての意識を高めよう。何から手をつけたらいいのかわからないと途方に暮れるが、まずは「もし今、ここで災害に遭ったら」と真剣に想像することからはじめてみよう。

すべてはッ おのれの弱さを認めたときに始まる 

※ 余談だが、「観測日誌」化した育児日記は、その後育休に入った夫が記載担当となり、イラスト入りの「育児日記」に無事戻った。

f:id:acoatacy:20150626230900j:plain

 

 

避難する際の非常持ち出し袋についてはこちら

amaimugi.hatenablog.com