なぜ「母親」になった途端、自分の部屋を持つことなく、千の風になって家中のあらゆる所に居場所が拡散されるのか?
「母親の部屋問題」について、このような記事が話題になっていた。
「大学生の考えた「家族が仲良く暮らせる間取り」が炎上中 母親の扱いに批判」
(元記事は削除された模様)
主に、「家族団らんのため、母親の部屋だけ作らず母親はリビングで寝起きする」という案に批判が集まっていた。
ここまで極端ではなくとも、世の中、母親の部屋を蔑ろにしていないだろうか?という疑問があったので、この際すべてブチ撒けようと思う次第である。
ひとことで言うなら、タイトルのとおりである。
子ども時代は「子ども部屋」を与えられ、その後一人暮らしをして自分のプライベートな空間を持ち、そこに数々のプライベートな持ち物を収める。
ここまでは性別に関係なく、男性でも女性でも同様であったはず。
なのになぜ、「母親」という役割が与えられた瞬間、当たり前のようにそれらのプライベートな空間が雲散霧消するのか?
私の大切なマンガ本コレクションや××や○○は、一体どこに置いたらいいのか??
母親だってふてくされて「やってられっかい!」とひきこもってマンガを読み漁りたい時もある。ついこの間までそうだったんだから。それが、母親になった途端「家じゅうのあらゆる場所で、家族を思い、笑顔を振る舞うフンワリした存在」へと変化することなどできない。
しかし、世の中「ひとりで静かに過ごしたい」という希望を叶える「父の書斎」はあるのに、なぜか「母の部屋」はない。
その代わりに昔から、妻・母親は家庭内で部屋を所有しない前提で、「嫁入り道具」として、タンスや鏡台といった、プライベートな持ち物をしまっておく道具を用意してきた。
思い出せば、私の母が嫁入り道具として所有していたタンスには、鍵のかかる小引き出しがあり、大切な持ち物はそこにしまわれていた。
かつて部屋ひとつ分あったプライベートな空間が、タンスの引き出しひとつ分まで縮小されるのである。
私の母が、晩年、自分の部屋を所有してから、そこにサザエさん全巻をズラーッと並べていたのがとても印象的だった。タンスの引き出しひとつじゃ叶えられないものは、やっぱりある。
「母親の空間を道具ひとつに集約させる」という考え方は昔に限ったことではなく、今でも通販カタログなどには当たり前のように
「使う時だけ広げて、ママのコーナーが完成。」とか、
「キッチンは私のお城。」といったキャッチコピーの商品が溢れている。
「母親の部屋」を実現する代わりに、母親の居場所を家具単位で実現したり、あるいはキッチンやリビング自体を母親好みのテイストにしましょう、という提案である。
かつてのタンスや鏡台と、考え方は変わらない。残念だけれど。
そして、ここまで『てめーは おれを 怒らせた』と言わんばかりに世の中への不満をブチ撒けておいて身も蓋もない話だが、これは私自身が「母親」になってから抱いた不満である。
私自身、昔は「自分の母が、部屋を持たないこと」に違和感を抱かず、「母親=いつも居間にいてくれる存在」と思っていた。もし自分が子だったら、「自分の部屋でマンガ本を読み漁っている母親なんて嫌だ」と思うかもしれない。
だから、冒頭の記事の意見(「母はリビングで寝起きすべし」)はちょっと極端だとしても、「母親が自分の部屋を所有することなく、家じゅうどこにでも母親がいて当然」という考え方は、世代・性別に関係なく、「母親」以外のすべての人が疑問を持つことなく抱く考え方なのかもしれない。とても残念だけれど。
じゃあ実際、我が家の間取りはどうしているのか?「母の部屋」はあるのか?という点については...また改めて。
追記: