子どもと「一緒に楽しむ」こと。
先日、父が他界した。
父との思い出を振り返って、
父の趣味である音楽活動に、少しだけ参加し一緒に演奏した
ことを思い出した。
10年前の冬、父が地元のジャズバーへ連れて行ってくれた。
そこで、父のSAX・父の友人のドラムに合わせて、小学生のソナチネレベルしか弾けないピアノで参加させてもらい、「セッション」(とは程遠い、父による指導と罵倒の場)を持った。
「お前は人のこと、なんも考えてない。」
「まず、リズムがある。弾き間違えても、弾き直すな。リズムが乱れる。」
等さんざん叱られながら、それでも最後になんとか「曲」が成立したときの喜びは、
今でも忘れられない。
「半生にわたって身を粉にして(いたかは不明だが)働き、家族を養ってくれたこと」よりも、「ただ一度でも、親と一緒に趣味の世界で楽しい時間を共有したこと」が、子にとって具体的な感謝の対象となり、思い出となる。
親にとっては、理不尽なことかもしれない。しかしそれが現実だ。
私も今、子育てをしながら、子どものため自分の何かを我慢しあきらめるのではなく、子どもと一緒に自分も楽しめることを増やしていきたい。
だから、子どもの遊びに参加するときは自分も全力で楽しみたい。
たとえばジャンケンひとつにしても、
な...なんだ?今までのジャンケン「フォーム」と違うぞ
今まで1度も出してないのは「チョキ」!「チョキ」を出す気だッ!
やばい4連続「パー」で行くのはやばいッ!
くらいの真剣な心理戦を展開していきたいッッ!!
そして叶うなら、子どもが挑戦することに自分も一緒に挑戦したい。
長男が通うプール教室にて、私は「保護者用ギャラリー」から長男を眺めるのではなく、隣の大人用レーンで一緒に泳いでいる。
まだ「水に顔をつける」レベルの長男は、私の姿を見て「かあちゃん、すごい!」と羨望の眼差しを向けてくれる。いずれ、独学のひどいフォームでノロノロ泳ぐ母親を、「下手だなーカッコ悪いな」と思うときが来るかもしれない。(その前に、「ついて来るの、やめてくれよなッ!」と言われそうだが...)そのときはどうぞ親を追い越して行ってほしい。
「何もかも子どもと一緒」はもちろん無理だとわかっている。
そして、この「楽しさ」は、陰ながら生活を維持運営し、子どもを支える大人の努力があってこそ、ということも。
それでも、何か一つでも、子どもと楽しさを共有できる生活を続けていきたい。
【音量注意】10年前の「セッション」を、店長が録音してくれていたもの。
父への感謝とともに。