甘い麦

共働きで年子の兄弟を育てる記録。主に仕事と家事育児の両立について。

「ママ友」とは友人にあらず、戦友である

妊娠中に「ママ友、できるかな♪」くらいに考えていた私の甘い見通しは、10年経った現在も現実のものとなっていない

そもそも「ママ友」とは何なのだろう。

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(検索すると、こんな候補ばかり挙がってきて怖いんだけど...…)

 

「ママ友」に対して、

「ハーモニー」っつーんですかあ~~

「味の調和」っつーんですかあ~っ

たとえるならサイモンとガーファンクルのデュエット!

ウッチャンに対するナンチャン!

高森朝雄の原作に対するちばてつやの「あしたのジョー」!

 みたいな幻想を抱いていると、そのギャップに戸惑う。

なぜなら、

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「友」という響きから、こんな関係をイメージすると、「年齢も職業も趣味も、価値観もわからない、何なら名前も知らない(“Aちゃんママ”と呼んでるから)」人と、どうやって関係を結んだらよいのか??全く分からないのである。

現実はこんな感じ

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「ママ友」の現実(※個人の感想です)

とにかく相手の情報に欠けるので、話題も子供関連に限られる。「...紙オムツ、何使ってるんですかぁ?」とかそんな感じの当たり障りない会話でやり過ごす。それで盛り上がるはずもなく、最後にはドッと疲れてしまう。

 

この構造、何かに似ている...と思ったら、仕事の取引相手だ!

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「ママ友」の構造に酷似

ビジネスパートナーなら、関わる目的が明確で、そこに相手のプライベート情報は不要であり、「そのボールペン、いい趣味ですね。どこのペンですかぁ?」など聞く必要もない。単純明快だ!

 

ここまでの考察の結果、

「ママ友」という言葉に幻想を抱くことが間違い。「友」というワードは誤解を生むので、「育児WG(ワーキンググループ)」くらいに名称変更すべき

という結論に至りました。

 

明日の天気を「祈り」

朝 起きたら目の前の大地に道があることを「祈る」

このあたりまえのことをくり返しながら

ーー友と馬の無事を「祈る」

 

ように、 たまたまそこに居合わせた、「育児」という孤独なプロジェクトに取り組む同志の健闘を祈ると思えば、距離感に戸惑わなくて済む(かもしれない)