甘い麦

共働きで年子の兄弟を育てる記録。主に仕事と家事育児の両立について。

家をたたむ―空き家化した実家の処分について

育児の話が中心のこのブログに、突如「終活」関連の話題が出てきて、

人間の寿命はどうせ短い 死にいそぐ必要もなかろう

と思うものの、けっこう大変だったのでここにまとめます。

 

0 基本情報

・両親が他界し、実家が空き家に。

・実家には祖父の代から住んでいる=おじ・おばにとっての実家でもある。

 

1 空き家化してすぐにやったこと

まず、「危険な空き家」化の防止に努めた。

「危険な空き家」とは、たとえば以下のような状態である空家等対策の推進に関する特別措置法「特定空家等」)

・そのまま放置すれば倒壊等著しく保安上危険となるおそれのある状態
・そのまま放置すれば著しく衛生上有害となるおそれのある状態
・適切な管理が行われていないことにより著しく景観を損なっている状態
・その他周辺の生活環境の保全を図るために放置することが不適切である状態

↑ここまで至らなくとも、自分の実家が近所の方から迷惑視されることは避けたかった。主な対策は以下のとおりである。

腐敗するものの処分(台所)

火災保険の名義変更

郵便物の転送処理、ポストに「チラシお断り」ステッカー貼付け →「ポストがあふれている=空き家である」ことが知られて、トラブル(空き家荒らし・不法投棄・放火など)が起こるのを防止するため。

近所への挨拶まわり →定期的に見回ることを伝えて不安の払拭に努め、何か気づいた際の連絡先を伝えて協力依頼した。

害獣・害虫駆除庭木剪定・草刈り →近所に迷惑をかけないため、業者に依頼した。取壊しまで何度か実施した。

インフラ しばらく継続課金して維持した。電話は1月後、ガスは半年後に解約。電気・水道は取壊し直前までつないでおいた。掃除や遺品整理する間の利便性はもちろんだが、慣れ親しんだ家でインフラが止まっているとショックを受けるので、精神衛生上も継続して良かったと思う。

 

2 合意形成

実家はおじ・おばにとっての実家でもあり、また従姉妹にとっては祖父母の家でもあったので、取り壊しに向けて理解を得たかった。手紙などで事情を説明した。

父が生前に「家はいずれ処分する予定」と周囲に話していたことで、「家を処分すると故人が悲しむ」という空気にはならなかった。元気なうちに自分の意思を伝えておくことの重要性を実感した。

 

3 遺品整理

家に残されたものを各自持ち帰り、残りは業者に依頼して処分することに。親戚には、実家に自由に出入りして、好きなものを持ち帰ってくださいと案内。遠方の親戚も立ち寄れるよう、帰省シーズンを挟んで数週間の期間を設けた。

整理に際し、特別に配慮したのは以下のものだった。

庭の植木 祖父が旧居から移植し、大切に育てていた牡丹の木は、植木屋に頼んで叔母の家に移植した。

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 (叔母の庭の牡丹。移植後も花を咲かせた。)

刀剣類 祖父が蒐集していた骨董品の中にあったもの。叔母が警察署に赴いて、銃刀法の所有者変更手続きを行った。(手続き方法は各自治体に要確認。参考:愛知県https://www.pref.aichi.jp/soshiki/syogaigakushu-bunkazai/0000065808.html

仏壇、祠 魂抜きをしてもらった。

父の楽器、譜面 音楽活動をしていた父のサックスと手書きの譜面を、バンド仲間に引き取ってもらった。

父のジャズレコード 父が出入りしていたジャズ喫茶に引き取ってもらった。

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(父のレコードも並ぶジャズ喫茶。先日訪ねて、父が好きだった曲をかけてもらった。)

祖父の書籍 研究者だった祖父の専門書は、東京の古書店に引き取ってもらった。(価値がわかる人の手に渡ってほしい思いから。)

 

4 解体

・業者から相見積もりを取って実施。

電気・水道・火災保険を解約。

近所への挨拶まわり。騒音の迷惑をかけることを事前に伝える。

解体中の1か月間、近くに住む妹は遠回りして、実家に近寄らなかったと言っていた。その気持ちはよくわかる。

 

空き家化してからここまで、1年以上経っていた。

近隣の叔母と妹にほとんど動いてもらい、それでも1年以上かかった。遠方の場合はさらに時間を要するか、途中のプロセスを省略するしかないだろう。

 

5 振り返って

実家の処分は、親しかった故人との別れに似ている。愛着が強い家であっても、その活動を止めた(空き家になった)途端、「危険な空き家」と化していく。「在りし日の姿」を留めておくにはそれなりの維持管理が必要であり、そしてそれは難しい。

住人が去ってがらんとした家に身を置くと、言いようのない喪失感に襲われた。毎晩眠りにつく前、誰もいないシンとした実家のことを想像して、苦しくなった。

解体後の更地に立った時、哀しさとともに、「もうこれ以上朽ちることはない」と、少しだけほっとした。それは、骨壺に小さく収まった遺骨を目の前にしているような、ほかに例えようのない感覚だった。

 

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両親が生活していた頃の実家。記憶の中ではこの姿のまま、今もそこにある。